五輪出場逃した選手達の「その後」

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前回に続き、オリンピックを目指しながら、その場に立つことができなかった選手のその後を考えてみましょう。

浅野有美記者が女子フィギュア3選手の「その後」を追いました。

要約して紹介させていただきます。

 

 

本郷理華

全日本選手権6位に終わった本郷理華選手(21)は1月末、甲府市であった冬季国体成年女子でSP(ショートプログラム)、フリーともに1位に輝きました。

全日本のSPでは3位に。

ただその後のフリーではジャンプのミスが重なって、順位を落とし五輪切符をつかめませんでした。

「全日本のような演技はもうしたくないと思った。練習からしっかりやろうと思って切り替えた。1回1回大切に練習してこられた」。

冬季国体は大きなミスなく、目標の200点台にのせました。

国際大会で再び200点を超えることが次の目標です。
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樋口新葉

樋口新葉選手(17)は、2月のチャレンジ・カップに向けて練習を重ね、結果はショート、フリーともに1位で合計203.94で優勝しました。

全日本4位で平昌五輪を逃した後、ツイッターでこうつぶやきました。

「悔しい、もちろん悔しい、でも前を向くしかない。まだこれで終わりじゃない。次があるんだ。やってやろう」

「大変だ、だけど四年もかけてじっくりじっくり煮込むからきっと美味しくなるね」。

3月の世界選手権代表に選ばれており、今後の活躍に期待がかかります。

 

三原舞依

三原舞依選手(18)は1月に台北で四大陸選手権に挑みました。

「(5位だった)全日本がすごく悔しくて、立ち直るのが大変だった」。

しかし四大陸選手権出場が決まり、「チャンスを無駄にしないように」と心に決め、銀メダルを獲得しました。

「来シーズン以降も四大陸に出られたら、うれしい」と前を向いています。

 

日本女子は誰が五輪に出ても世界の上位で戦え、心を動かす演技ができる実力を持っています。

しかし、それだけの力があっても、出られない選手の方が圧倒的に多いのが現実です。

代表とそうでなかった選手は、わずかな差しかありません。

五輪への戦いを終えた後、彼女たちがどう向き合っているのか。

 

次の五輪を目指す選手もいれば、年齢や気持ちの面で迷う選手もいます。

それでも、競技に向き合い、自分の限界に挑戦し続けています。

極限まで自分を追い込んだ末の新たな一歩。

それは、アスリートに限らない、多くの人にとって大事な生き方のヒントになるはずです。

 

以前、高校野球を取材したとき、ある高校の監督が言っていた言葉があります。

「競技を終えた人生の方が長い」。

戦いの後、どう生きるかの方が大事なのだということを、彼女たちから、あらためて教えてもらった気がします。

 

 

自分だけが悲劇の主人公になりがちな時、読んでいただきたい記事です。

この記事を読んでも前を向くことができない場合は、ブレイキングコーチにお声を掛けてください。

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