人間は間違えを犯すもの。 舛添知事も人間だ、けどね~…。

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昨日、東京都知事の舛添さんが辞職を表明されました。
辞職に至るまでは様々な経緯があるのでしょうが、私の脳裏に浮かぶのは論語に記されたいくつかの言葉です。
なぜ論語かといえば、皆様と同様に漢文学習の初期で、最も多く例文として用いられていたからです。
さらに、孔子は私が駐在する山東省の出身であるがゆえに、様々な中国名言の中でもより身近に感じるからでしょう。
過則勿憚改。(過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。)」
過而不改、是謂過矣。(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)」
いずれも非常に有名な語句なので、この場で訳文を掲載するまでもありませんね。
(私は翻訳家じゃありませんし~!)
ご興味のある方はググってみてください(笑)。
※特に「過則勿憚改」の前後には興味深い文言があり、この語句を単独で見る場合と受け取り方が異なる可能性があります。
論語では、人間は君子でさえ間違えを犯すものだということを前提として、それに気づいたり指摘されたりした時にどうすべきかを説いています。
その論語が生まれた彼の国で、私は一階にいくつか商店のあるビルに住んでいますが、この店が目まぐるしく変わります。
過ち(儲からない)を改める(撤退)のに憚ることはない(躊躇しない)らしく、一般庶民にも論語の教えが徹底されているんですよ、自分の損得に関係する場合において(笑)。
舛添さんクラスなら論語はもちろんご存知で、それらをアドバスしてくれる様々な人脈があったはず。
なのに、金銭や書類の処理をするコンサルタントばかりで、人間性の成長に影響を与えるコーチがいなかったのかもしれません。
ちなみに、今回のケースで舛添さんが早い段階で”改(更)めた”として、世間はどのように対応したでしょうか?
君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之。更也人皆仰之。(君子の過ちや、日月の食の如し。過つや人皆之を見る。更むるや人皆之を仰ぐ。)」
都民に仰がれることはあったのかなぁ…。
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