今日は彼岸の中日でもありますので、弟分の死について語りましょう。
自分で言うのもなんですが、私は先輩方にはよく可愛がられます。
しかしながら、私を慕ってくれる後輩は多くありません。
そんな私を「兄さん、兄さん」と慕ってくれた、年下ながら尊敬できる人物が亡くなりました。
彼と初めて会ったのは2000年9月の中国・青島。
私は駐在員ながら「様々な国の人と交流できる場所」という社長の意向で、語学留学生の寮に住むことになりました。
その手続きに訪れた際、悪戦苦闘している私を手助けしてくれたのが彼です。
にこやかに表れた彼の顔を、今でも思い出すことができます。
彼とは妙に気が合い、お互いに都合がつけばどちらかの部屋で夜ごと飲んでいました。
二人とも一般の日本人が毛嫌いする白酒という現地の酒を平気で飲めるタイプだったことも関係しているかもしれません。
飲みながら様々な話をしました。
特に印象深いのは、中国の能力がズバ抜けて高かった彼が唯一の日本人として参加していた最難度のクラスで、中国人教師と韓国人留学生に戦争問題で吊るし上げられた日のことです。
好きで留学した現地教師と、好意を寄せている女性(当時の彼は韓国人と交際中)の同胞から、言いがかりに似た糾弾を受け、得も言われぬ表情をしていた彼。
うまい言葉をかけることのできなかった自分の拙さと合わせて、忘れることができません。
そんなこともありましたが、彼は現地を離れることなく、補習塾を開業します。
彼は教育者でした。
素晴らしいコーチでした。
彼のもとを巣立った生徒の誰もが、その言葉に同意してくれることでしょう。
私も自分の息子と娘を、彼に預けたいと思っていたくらいです。
そんな彼はこの世を去ってしまいましたが、教え子たちがその教育遺伝子を受け継いでくれているはずです。
それが、教育業・コーチ業の醍醐味です。
もちろん、一般の会社員でも、その仕事術や流儀の遺伝子を伝えていくことは可能です。
ただし、よほど大企業の上級職でなければ、影響力は教育者のそれと比較になりません。
特に思春期の子ども達に影響を与える教育者・コーチの力は、強大と言えるでしょう。
「“喪失を抱えてなお生きろ”という声が聞こえた。 お前にも聞こえたはずだ。 それが人に与えられた呪いだ。」
「……。」
「でも、きっとそれは祝福でもあるんだと思う。」
尊敬できる弟分を失ってなお生きていく私に与えられた呪い、そして祝福とは?
彼が本当にやりたかったことは何なのか?
今、私ができることは何なのか、やるべきことは何なのか?
差し出がましいかもしれませんが、彼の天職だったであろうことを知り得る立場の人間として、その遺伝子を引き継ぐ一人になりたいと思います。
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