日本では全国高校野球選手権大会”甲子園”の真っ最中です。
各都道府県の代表として出場する選手・監督には、存分にその実力を発揮して欲しいものです。
ただ、競技である以上は勝者と敗者が生まれます。
それは重要な結果であるものの、決して”すべて”ではありませんし、勝敗より大切なものがあるのは明らかです。
ここでマット・フューリーという人物を紹介しましょう。
現在、ベストセラー作家であり起業家として成功をおさめている彼は、過去にレスリング全米チャンピオンや格闘技の選手として活躍した時代があります。
その彼は、20年前の1997年にこんな経験をしたことがあるそうです。
以下の『 』内は彼の言葉によるものです。
『北京で開催されていたカンフーの世界選手権で試合終了のベルが鳴った瞬間、私は自分の右手が勝利で高く挙げられると思いました。
スコアは2対2の引き分けでした。
引き分けのときは最初にポイントを入れた方が勝つことになるルールでした。
しかし、私の試合に関しては、中国人のレフリーがルールを変えて相手方の手を取って勝利を宣言したのです。
この判定を聞いても私は笑顔を失わず、妻のもとに歩いていきました。
彼女は明らかにこの判定に動揺していました。
私は肩をすくめ、彼女の肩に手を置いて、「心配しなくて大丈夫だよ。中国では中国のやり方に従うしかないんだからね」
これが、決勝戦に敗れた直後の私の反応です。
不思議に思いますか?
自分がベストを尽くしたことを、私は心の中でちゃんと知っていました。
だから、このような反応を取ることができたのです。
私には、これまで達成したどんなことよりも、一段上のことを成し遂げたという確信がありました。
この事実を知っていることの方が、勝ち負けよりもっと重要なことなのです。
もし銀メダルや金メダルを取ったとしても、何も得なかったとしても、ベストを尽くした限り、私は勝者なのです。
これが私の考えかたです。
もし試合に勝っても、力を半分しか出さなかったとしたら、自分を誇らしく思うことなどできません。
一生懸命にならずに、どうやって名誉や栄光を受けることができるのでしょうか。
私はこう考えます。
確かに、私は金メダルを取りに中国に行きました。
そして勝利を目指していました。
でも、試合に臨むとき私がフォーカスしていたのは、勝利ではありませんでした。
私は自分のベストを尽くすことだけを考えていました。
驚いたことに、負けの判定が下ってから1,2分して、私はマットの上に呼び戻され、判定がもう一度下されたのです。
レフリーが判定を覆し、私は世界チャンピオンになったのです。』
彼は最終的に勝利を得ましたが、それ以前にベストを尽くすという段階で既に勝者でした。
甲子園出場の全関係者が勝者になってくれることを望みます。
そして甲子園に出場できなかった関係者も。
さらに、野球とは異なる分野で努力を重ねてきた人達も!
今も何らかの分野で努力を重ねている全員が勝者たんらんことを!!
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