ぼくは明日、昨日のきみとデートする

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数週間前に、”ぼくは明日、昨日のきみとデートする”という映画を見ました。

正直なところ、見たくて見た映画ではありません。

どちらかというと、暇つぶしに仕方なく見た映画です。

 

見終わった後は、切ない恋愛映画だという印象とちょっとした感動しかありませんでした。

なので、ブログに取り上げることもなかったのです。

 

ただ、昨日ある記事を目にしてハッと気づかされました。

今の一瞬がどれだけ大切なのかということに!

 

私にそれを気づかせてくれたのは、マック鈴木(元プロ野球選手)さんの記事です。

未承諾ですがご容赦いただけることを願って以下に一節を紹介します。

 

『子どもって、ある日突然それまでできなかったことができるようになりますよね。うちは「パパ・ママ」じゃなくて「お父さん・お母さん」って呼ばせているんですが、長男はまだ「お」が言えないから、僕のことを「とうさん」って呼ぶんです。そのうち「おとうさん」って呼ぶようになると思うんですけど、切り替わる瞬間って一瞬しかない。成長の瞬間を見逃したくないから、仕事が終わるとすぐに家に帰るようになりました。』

 

私も子育て真っ最中ですが、『切り替わる瞬間って一瞬しかない』ということを常に実感しています。

例えば、さっきまで「アーバーマー」だったのが、突然「アンパンマン」と言えるようになったり。

「アンパンマン」と言えるようになると、二度と「アーバーマー」とは言いません。

たとえこちらが敢えて「アーバーマー」と言って促しても…。

早く「アンパンマン」と言えるようになるといいな~と思っていたのに、いざ言えるようになると、もう一度あの可愛らしい「アーバーマー」が聞きたいなと何だか切なくなるのです。

 

※ここから先は、”ぼくは明日、昨日のきみとデートする”(小説or映画)のあらすじをご存知の方しか理解できないと思いますが、ご興味がありましたら続きも読んでいただけれると幸いです。

 

ここで、”ぼくは明日、昨日のきみとデートする”での、最初と最後が交差していく世界を思い出しました。

嬉しいはずの最初が、切ない最後をもたらしている。

それに気づいた瞬間に、ごく普通だった映画(正確には映画のコンセプト?)の評価が非常に高いものになったのです。

 

でも、私がここで言いたいのは映画の評価ではありません。

 

普段の何気ないやりとりや生活も、次の瞬間にはもう過去のものになってしまい、二度と経験できないかもしれない。

思春期で俗に反抗期と言われるお子様をお持ちの親御さんは、その反抗的な態度への対応に苦慮されることもあるでしょうが、いつか懐かしく思う日が来るという気持ちで、お過ごしいただきたいということです。

お子様と未来を信じましょう!

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