優等生よりも不良や「おバカ」が持て囃される風潮への違和感  (3)

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3回に渡って紹介してきた記事の最終回です。

 

日本の学校は『できない子』に合わせ、教師は落ちこぼれが出ないように腐心するような「できない子」に優しすぎる制度で、世界標準とは言えない。

ドイツの教育制度では、子どもは4年制の小学校に通ったのちに、主に3つのコースを選択することとなる。

 

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「ギムナジウム」(8~9年制)は日本でいう中高一貫校に近いイメージ。

「実科学校」(6年制)は、卒業後、上級専門学校に進む人が多い学校。ここで好成績を修めて「ギムナジウム」に編入することも可能。

「基幹学校」(5年制)の卒業生は、そのまま職業訓練を受けながら働くことが一般的だ。

10歳の時の成績で、将来はかなり決まってしまう。といっても、実のところその年齢での学力差はたかが知れているので、親の学歴が強く反映されるようだ。

さて、大学に進むには「ギムナジウム」を卒業するというのが、スタンダードだ。

が、しかし、2017年度を見るとギムナジウムに進学できたのは全体の44・2%。

つまり普通に大学に進めるのは全体の半数にも満たない。

日本の場合、高校卒業者が全体の9割を超えているのだから、大学への門戸は段違いに開かれているといってもいいだろう。

さらに日本の場合、大学の卒業が諸外国よりも容易だというのはすでによく知られている。

 

日本人にとって、ドイツのような教育制度は厳しいと感じられるかもしれない。

しかし、進学、入学、卒業が厳しいということは、学校の成績への信頼度を高めることにもつながる。

「誰でも高卒・大卒」ではないということは「高卒・大卒」という経歴には一定の重みがあるということになるのだ。

 

「ドイツでは学校成績への信頼度が高いから、子どもたちは学校の勉強をしていればちゃんと社会で評価される。

できない子に合わせることもないので、稀ではあるが小学生でも留年する。

カネを出して塾に行く子は基本的に、学校の授業についていけていない落ちこぼれの生徒だ」

 

日本式の「落ちこぼれを作らないようにしよう」という考え方にも利点はあるだろう。

が、雨宮氏はむしろそれは勉強ができない子にも良くないのではないか、と問題提起する。

その真意を改めて聞いてみた。

「冷徹に聞こえるかもしれませんし、程度の問題はあるでしょうが、学校が勉強嫌い、できない子に合わせてしまうと、勉強が好き、得意な子どもが損をしますよね。

できる子たちがさらなる勉強をしたければ塾に行かなくてはいけなくなり、親の経済力が子どもの学習環境に大きく影響してしまいます。

『教育の機会均等』を掲げてチャンスを与えることは重要だけど、学ぶべきことを学ばずに卒業して進学する生徒がいる一方で、マジメに勉強している生徒が不利益を被るのはちょっとヘンなんじゃないか、とモヤモヤします。

勉強が苦手、したくない子に、全体が合わせる必要があるのでしょうか。

勉強が苦手なら留年や転校をして自分のレベルに合った教育を受けたほうが、本人のためにもなると思います」

 

元不良やおバカを持て囃す風潮も、考えていくと意外と深い問題が背後にあるようなのだ。

 

↑ ここまで ↑

 

何が正解かは一概に言えません。

ただ、

『その蛮行には被害者や犠牲者がいるはずなのだが、そのへんは特にテレビでは軽視されがち』

『最低限の敬語も使え(中略)ないのに、それが『気取っていない』とウケる』

『勉強ができる、博識であるということだって十分評価されるべき』

という部分、特に最後の部分は大いに意識すべきではないかと思います。

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